流動体・不定形

定点、永遠、安定、固定に憧れる。 ぼくたちは流動体であり不定形だ。ぼくたちは常に欠損し続けている。不合理な行動を取り続ける。感情に振り回される。互いの欠損を互いが補てんし合う。流動体であるぼくたちは固体に近づくためルールを決め、システムを作る。システムは固定だ。 つまりぼくたちは特殊であり、システムは普遍ということだ。共同体の中のある一定の普遍性をすくい上げ、固定する。だがぼくたちは特殊だ。そこに齟齬がある。村上春樹が語ったようにぼくたちは卵であり、システムは壁だ。普遍性の壁に特殊性は砕かれる。 昨日のぼくと今日のぼくは違う人間だが、ぼくであるということをもって同一人物だと認定される。昨日は働く気があったが、今日はないというのが人間だが、壁がそれを許さない。壁は特殊なはずの人間に普遍性を求める。お前という人間は10年前も今日も10年後もある普遍的な特性を持っているはずだとぼくらを規定する。

ではぼくらは本当に普遍的でなければいけないのだろうか。そんなことはない。普遍的なふりをすればいいだけだ。 定点であるふりをするし、永遠であるふりをするし、安定であるふりをする。多くの人はこうやって生きている。過去も今もこれからも全く同じだった、一貫していたふりをする。過去にどぎつい毒舌を吐いていたタレントもそれをすっかりやめてテレビに出る。友だちなんて必要ないと言っていた文化人が還暦パーティーを開く。 皆、流動体である。ということは皆、動いている。皆、不安定で皆、過去から変化している。その変化の波と同調している人はまるで一貫しているように見える。本当に安定しているものは変化の波の中で安定しているが故に動き続けているように見える。 20年前はモーレツに働き、現在はフレックスとテレワークを活用する人は働き方が一貫していないが、時代に合った働き方をしているという点では一貫している。 ぼくたちは現在から振り返って過去をまとめ上げることができる。どんな生き方をしようが、どんな過程を歩もうが、現在によって過去を一貫したストーリーで捉えることができる。

ただ流動体であり、不定形であれば良いということだ。固体であり定形でなければいけないと幻想を抱きながら、時代とともに周りの人とともに変化し続ける流動体かつ不定形として。

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